大企業は絶望に満ち溢れているのか?
id:odz君のblogより
あれか、もしかして巨大な企業というのは絶望に満ち溢れているんだろうか。
ベンチャー - odz buffer
(多分)大企業に勤めてる私が語ります。
# まだ2年も働いていないぺーぺーが言っても説得力ないけど!
とりあえず私はそんなことは(巨大企業絶望充満説)ないと信じています。
もちろん絶望はある。間違いない。
「え、こんなのが上に立ってていいの?」とか「何、このシステムざけんな」とか「このまま行って私って大丈夫なんだろうか?」とか思うし、この前だって「のや、仕事なくなるんじゃない?」とか普通に言われたりした。
だけど、私はそんな嫌な部分だけじゃなくてちゃんといい部分もいっぱいあると思う。
例えば、この前先輩に
「今度、パソコン買ったら、最新のSSDとか試してみようと思うんですよー」
なんて言ったら
「バカヤロウ! お前は会社でそれやってても全然怒られない仕事してんのに何でプライベートでそんなことするんだ! 会社の金でやれ!」
って怒られてしまった。
もちろんやるからにはちゃんと成果にしないといけないから、趣味で「てへ、買っちゃった」で済まされない責任は負うんだけれども。
コレってきっとまだまだ余裕があるんだろうなーって思う。こーいうとき、今の職業って幸せだなって思う。
大企業にいると、自分ひとりじゃ何も変えられなくて嫌だーってなる人が多いみたいだけれど、逆に自分ひとりくらいが「趣味の延長」を仕事にできる余裕があるわけ。もちろん一人前の仕事をした上での話だけれど。
多分ちっちゃなベンチャーだと、個人のパフォーマンスが直接業績に反映されるから、「俺SUGEEEEEE」って実感も持ててモチベーション的にはよさそうなんだけど、一人前の仕事をこなしたら二人前の仕事を要求されちゃうんじゃないかなぁ?(これこそ偏見?)
っていうのを図に表すと右上の図みたいな感じ。
希望(青)と絶望(赤)は大体均等に分散してて、企業の大きさが黒線の分。
ベンチャーがステキに見えるのは、たまたま(もしくは頑張って移動して)希望を囲ったベンチャーだけが生き残って絶望を囲った星の数のほどベンチャーが死滅してるからだと思う。
絶望と希望の両方をたくさん掴んでる大企業で幸せに生きていくには、こーいう希望をちゃんとハンドルしないとダメなんじゃないかな。企業の幸せなんて結構どうでもよくて、自分が幸せでついでによくなりゃいい程度くらいで行けりゃいいんじゃないかなぁ。